享保の改革を進めていた将軍吉宗による倹約令で活気の無い江戸を横目に、尾張藩七代藩主の徳川宗春は、名古屋を民が楽しめる町に変えたいと願い、自らの治世の基本的な考えを文書にした『温知政要』を藩士に示した。本書では、もし江戸中期にコーチング的な考え方を持つ人物が現れ、広まっていったら尾張藩はどう変わったかを想像したものである。